”ほんとうの”『銀河鉄道の夜』

宮沢賢治さんの『銀河鉄道の夜』は、世に出るまでの経緯や、元原稿を見る限り、かなり未完成な割合が強い気がします。
賢治さんが病に伏せて、結果として、第四次稿が最終稿として、研究者の方々によって整理され、一つのまとまりのある作品のように思ってましたが、いろいろ調べてみると、まだまだ下書きを繰り返していたんじゃないかという印象を、個人的には受けます。
注目すべきは、第一次稿から第三次稿まで、改訂を加える度に、あれだけ育ててきたブルカニロ博士の役割や表現を、第四次稿でバッサリ失くした(いや、階層的には埋めた?)ことです。
その代わり(いや、代わりじゃないんだろうか…?)に、現実世界で直面するのは、
カムパネルラの死の顛末と、
カムパネルラの死を受け止める父の姿。
何か、作品の方向性を大きく変える、重大な気付きや閃き、新たな光が見えたんじゃないだろうか、と思ってしまいます。
それによって、ジョバンニが幻想第四次の銀河鉄道から、現実世界に戻って来る際の描き方を変えたんじゃないだろうか。
少なくとも、ブルカニロ博士を出さないこといによって、仏教的(もっと言えば法華経的)な価値観が、人間が真の幸福に至るための絶対的手段という感じは、非常に薄まった気がします。
もし、賢治さんがもっと生きていたら、カムパネルラの父の描き方は、ブルカニロ博士の変遷のように、もっとさらに賢治さんの描きたかったものが肉付けされたり、余分なものが削ぎ落されたりして、
賢治さんの言葉を借りれば、
”ほんとうの”『銀河鉄道の夜』が、
作品として立ち上がって来たんじゃないだろうか、と思ってしまいます。
こういう想像(というか妄想)をいろいろ膨らませることができるのも、未完の作品を向き合う楽しみかな~と思います。
賢治さんと過ごす日々は、本当に刺激的なアイデアに溢れた毎日です(笑)