『最強伝説黒沢』『新黒沢最強伝説』

最強伝説黒沢』、そして続編となる、『新黒沢最強伝説』。

このシリーズが、本当にすごい熱量とメッセージ性を持っていると強く感じました。

最強伝説黒沢』では、主人公の中年おじさん、黒沢の境遇や背景、思考回路などが描かれた後、彼の努力が始まります。

でも、シャイで不器用な中年おじさんが頑張ると、まあ、空回る空回る。孤独と虚無感を埋めるために頑張るのに、どんどん孤立し、疎んじられるばかり。

そんな中、持ち前の純情さと幸運が重なり、少しずつ職場の若者たちとも打ち解けてきたある日、彼の真の戦いの日々が幕を開けます。

最初の戦いは、ファミレスで絡んできた不良中学生たち。

第二の戦いは、プロレスラーを目指す大学生。

第三の戦いは、近所を取り仕切る5つの不良高校生グループ。

そして、第四の戦いは、ホームレス狩りを繰り返す暴走族。

次から次へと襲い掛かる厄災とも言っていいような状況の中、逃げずに戦う覚悟を決める黒沢の心情の一言一言が、まあ心にグサグサ刺さるのです。

印象的だったのは、第三の戦いの勝利を収めた後、勝利の美酒に酔いしれたその帰り道。やはり彼は、耐え難い動悸に襲われ、道に座り込みます。その虚無感と感情の浮き沈みの激しさから、この人は躁うつ病なんじゃないかと思いました。この第三の勝利でも気付いたのは、戦う覚悟と勝利が、物心ついた頃から中年になるまでこじらせてきた孤独感を埋めるものにはならなかったという事実なのかもと思いました。

そこで、やけ酒に溺れ、介抱してくれたホームレスの人との縁から、第四の戦いに突入します。

『新黒沢最強伝説』では、前シリーズの最後に出会ったホームレスという境遇に、全編通して浸り続けます。一般社会では最底辺と言われる状況の中でも、たくましくしぶとく生きようとする黒沢たちの姿。その姿を通じて、人間が人間たる所以、全てを失ってもなお残るものは何か、人間として大切なものはなんなのか、ということを突き付けてきます。

面白いのは、非常に俗物的で消費社会の権化として出て来るガス・ガソ兄弟、そして、苦行を経たという宗教者、そして、ホームレス黒沢との対峙。他にも、様々な形で現代社会における人間性を象徴したようなキャラクターが出てくるのですが、その中でも一番、濃密に描かれているのが、恋乃介との決闘シーンです。

嘘八百を並べ立て、楽して得た富や名声に溺れる若者と、富も名声も何も持たず、ありのままの姿で向かってくるホームレスの初老のおじさん。そして、ガチに向き合うからこそ、その戦いの果てに訪れる、若者の改心。自分のそれまでの生き方を白状し、謝り、さらけ出す。そして、ありのままの自分をまずは自分が受け止め、その上で自分ができることをコツコツと積み重ねようとする。

つまり、『新黒沢最強伝説』では、黒沢は、清濁併せ持ったどこまでも人間らしい人間であり、そして、純朴だからこそ真理を呟ける野に生きる宗教家であり、命を懸けて目の前の若者とぶつかりあう教育者であったと感じました。

一番気に入っている表現は、『新黒沢最強伝説』の最後に出て来る、「ちっちゃい黒沢」という表現です。生きている間に接した人間の中に、「ちっちゃい何か」を残せたら、人生は上出来、生まれてきた甲斐があるということが、最後に描かれています。

そういう意味では、『最強伝説黒沢』では、黒沢がとてもリアリティを持って感じられるのに対し、『新黒沢最強伝説』では、やや高尚な偶像的なイメージで感じられる気がしました。

いずれにせよ、やはり、この漫画は、舞台化・映像化して、音で、動きで、触れてみたいと思いました。

絶対、作っても、一銭の儲けにもならないと思います。だって、主人公がもてない中年おじさんで、そのおじさんの悲哀と努力を描くなんって、舞台やドラマに一番金をかける層が、まるで食いつく気がしません(笑)。

でも、すごい舞台になると思います。歴史に残るすごい人物になると思います。

だって、こんなすごいキャラクター、いないですもん。

この人の生きようとする力、よりよく生きようとする執念は、本当にすさまじい。

まさに、最強の男です、黒沢。

 

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